江戸時代末期から明治期にかけ乱世を淡々と生き抜いた和歌山市の画家・川合小梅

江戸末期の画家川合小梅は乱世を淡々と生き抜きました 

川合小梅は、およそ50〜70年にわたる最古級の主婦日記を残した女性として知られています。

こちらでは、その日記が紹介されている資料や、ゆかりのある場所の中でも小梅が見ていた景色と今もほぼ変わらない姿をとどめている場所についてご紹介します。

 小梅が生きていた江戸末期から明治初期は、天候による米の不作や疫病、政治的な変革などが立て続けに起こり、まさに乱世。

そのような心波立つ日々を地に足をつけて生き、持ち前の記録好きの性分を生かして淡々と書き続けた日記は、当時の生活様式が知れる一級の資料です。

日記が初めて世に出たのは1939年(昭和14年)11月12日の大阪朝日新聞で、図書館で見ることができます。

 小梅は、第二次世界大戦以前は画家として著名でした。そのことは、2019年の「第11回小梅忌」で和歌山市立博物館の近藤壮(たかし)館長(当時)が行った講演で発表されており、講演記録は『川合小梅の作品と画業』という冊子にまとめられていまして『小梅日記を楽しむ会(中村純子会長)』が300円で販売しています。

 

 小梅さんのことをもっと知りたくなってこの小冊子を購入し読んだところ、近藤館長が、奇跡的に小梅さんの作品を廃棄寸前で救出したというドラマチックなお話が書かれてありました。

 エピソードの概要は次の通りです。

 2018年8月、和歌山市永穂(なんご)という、紀の川市に程近い地区の、旧家が取り壊されている現場でのこと。解体事業者が、埃を被った品物の中に書画があるのを見つけ、県立文書館に「みてほしい」と連絡を入れた。

文書館が近藤館長に連絡をとったところ、諸事の仕事に追われていた館長は一度は「本日は難しい」と断った。ところが、その資料は家の解体とともに処分される可能性があると聞くや、前言を撤回して急行し1時間後には現場に到着。ガレージにガサッと置かれた廃品の山の中から館長が掛け軸3点を見つけた時には、周囲もどよめいた。作品はさらに、後から2点発見された。

永穂の旧家というのは三輪家のことで、「小梅日記」にも度々登場するほど親しく交流していたようだ。

 近藤館長は「いくつもの偶然が重なり、処分されずに作品を残すことができたことは、この仕事をしていくうえでたいへんやりがいのあることだと思います。大学院時代から二十五年ほど研究を続けてきましたが、そうそうこのような出会いはありません(中略)130回忌のこの折に、何かに導かれたかのような、不思議なご縁を感じています」とその時の感慨を記しています。

 この時に発見された小梅の絵は和歌山市立博物館に収蔵されており常設展示はされていないですが、弊社の小梅さんをテーマにした弊社、as.daily.life(アズ・デイリー・ライフ)旅行企画のツアーで博物館に立ち寄った際には、学芸員の先生が見せてくださいます。

 小梅を偲ぶ機会のうち、『小梅日記を楽しむ会』が主催しているものは、近藤館長が講演をされた、小梅の命日である11月2日に、川合家の菩提寺の妙宣寺(和歌山市新堀東)で開かれる法要と、3月3日の雛祭りに、小梅も度々訪れていた和歌山市の正住(しょうじゅう)寺で開かれる会員発表会があります。

 こちらは、2008年に和歌山市内の骨董店で発見されたのを篤志家が買い上げ、小梅と縁の深い和歌山市東長(ひがしなが)町の正住寺に寄贈した画です。小梅の名前の下に「媼(おうな)」とあるのは「おばあさん」をへり下った言い方なのだそう。

 今、関係者の間では、令和6年に生誕220年、没後135年の節目を迎えるに当たり、このお雛様を塗り絵にしようという企画の他、さらに多くの人に小梅さんを知ってもらい親しんでもらうことを願った様々な提案の声が、上がっています。

 絵を描くことが三度の食事よりも好きだった、お酒や芝居、買い物も好きだった!そして、江戸時代後期から明治期の激動の時代の中、現代では考えられないような苦悩や悲しみがあったであろうに、日々の出来事を淡々と感情を交えることなく記録し続けた女性、小梅さん。

私は、そんな女性の存在をより深く感じることのできる方法の一つとして、小梅さんが見ていた景色とそれほど変わっていない場所に足を運ぶことも良いのではないかな・・と考えています。

 こちらは、和歌山市で直川(のおがわ)観音と親しまれている大福山本恵寺(だいふくざんほんえじ)。川合家の住まいはお城の近くだったので、このお寺には、紀の川を船頭さんが船を漕ぐ渡しを使い、半日がかりでお参りしていたようです。

 『小梅日記を楽しむ会』が編纂した絵本の中でこのお寺のことを知り、今年の春に訪ねてみたところ、そのとても静かな佇まいに特別なものを感じました。

 こちらの本堂の手前にはろうそくとお線香が置かれ、どなたでも自由にお供えすることができます。金銭にシビアなこのご時世の中、こちらでは料金などの表示が一切ないので、「古き良き日本を感じさせてくれる場所がここにあった!」と、感激しました。

 

 夢中で直川観音まで進んできてふと振り返ると、紀の川の向こうの和歌山市が眼下に広がっていました。このお寺は高台に建っていたのでした。

 お参りを終えた帰り道です。こちらの川の名称は千手川。

昔は氾濫して命を落とした人もあったと、地元の人から聞いたことがあります。今では護岸整備がなされ、美しい花が植えられ、心地よい風が頬を撫でてくれ、とても気持ちの良い散歩道でした。

 20分ほど歩くとJR直川駅。和歌山駅から大阪方面にふた駅離れたこの小さな駅を集合場所に『江戸末期の和歌山市の画家 川合小梅の見た景色と描いた絵画を訪ねるツアー』は始まります

ツアーの詳細はこちらをタップするとご覧いただけます。

    as.daily.life(アズ・デイリー・ライフ)旅行企画  代表  檀上智子

 

 

 

 

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